安楽椅子ならぬ“パイプ椅子”探偵? 快刀乱麻な腕貫男の登場 / 西澤保彦 『腕貫探偵』

皆様、「安楽椅子探偵」という言葉を耳にした事はありますか?

それはミステリー用語で、現場に赴き自ら能動的に情報を収集することはせず、まるで安楽椅子でくつろぐかのように、関係者の話や、新聞記事の情報だけを基に、事件の謎を推理して解決に導くタイプの探偵の事を指しています。

今回は、まさにそんな探偵が活躍するユーモアたっぷりのミステリーです。

……といっても正確にお伝えすると、彼の職業は探偵ではないのです。

「市民サーヴィス課臨時出張所」と書かれた看板の横に簡易机を広げ、パイプ椅子に座っている、謎の公務員……といったところでしょうか。

トレードマークの黒い腕貫を嵌めた奇妙なその彼は、悩める櫃洗市民の前へ現れます。

大学に、病院に、警察署、商店街のアーケード……まさに神出鬼没。

そんな謎の腕貫男に、ついつい相談を持ちかけてしまう櫃洗市民の皆様。

隣人の遺体がバス停から自宅へ移動?自宅から大量の学生証が発掘?二股がバレた恋人と復縁するにはどうしたらいいだろう etc…

小さな謎から大きな謎まで、鋭い洞察力でお悩みをさらりと解明していきます。

悩み事に隠されていた突飛な真相に開いた口が塞がらない、そんなミステリー7編です。

腕貫男、登場

どんなに目と鼻の先に置かれていても、心身共に健康な者の視界には絶対に入ってこないというものが世の中にはある。くだんの貼り紙などその典型的な例で、普段の蘇川純也ならばたとえ網膜が字体の画像を結んだとしても、心が内容を意識するに至らなかったろう。

そんな切り口から始まる物語。

ちなみに、そのくだんの貼り紙はこんな事が書かれていたのです。

市民サーヴィス課臨時出張所
櫃洗市民のみなさまへ
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個人的なお悩みもお気軽にどうぞ

なんだこりゃ。と思える私は心身共に健康という事で良いのでしょうか。

私の健康はさておき、とんでもない一夜を過ごす羽目になってしまった1話目の相談者、蘇川純也は思わずこの貼り紙に吸い寄せられ、不思議な腕貫の彼に出会うのでした。

鉛筆のように細いひょろりとした身体、昔の肺病病みの文学青年のような青白く尖った風貌、細フレームの銀縁眼鏡、若いのか年配なのかよく分かりません。無造作に切りそろえたであろう髪には白いものが、ちらほら混ざってるように見えますが基本的には、彼の年齢は不詳です。

何を用心しているのか「お役所仕事です」といわんばかりにむっつりとしたお堅い表情でパイプ椅子に腰掛け、今付けている人はほとんどいないであろう黒い腕貫を両腕にしっかりと嵌めた姿は戯画的ですらあります。

「次の方、どうぞ」

手続き上の形式に固執する姿勢にしても、機械的なんだか人間臭いんだがよく分からない。

そんな無表情で、特徴のない声で名前を呼ばれると、1章目の相談者・蘇川純也のお悩み相談が始まります。

いっそ、想いを寄せる“筑摩地陽子”について恋愛相談したくなりながらも思い留まる。

それどころではない、彼の頭を悩ませてるのは前夜のとんでもない出来事。

ことの発端はおれが昨夜、顔見知りが死んでいるところに出くわしてーー

消えた隣人、不可解な移動劇

蘇川純也は、大学の新入生歓迎会の帰り道にバスの停留所で、アパートの隣人でもあり、親しい大学の先輩・間室良太郎が泥酔して眠り込んでいる姿をみつけた。起こそうとしたが、様子がおかしい。人の肌とは思えないひんやり冷たく硬質の感触に、隣人がとうに死んでいることに気づきました。

携帯を持っていない蘇川は電話ボックスを探し、慌てて119番通報。

戻ってみれば、なんと停留所はもぬけの殻。隣人の死体は跡形もなく消えていたのです。

到着した警察官に“酔って幻覚を見たんじゃないか”なんて、疑われながらひとり暮らしのアパートに帰ると、さらに蘇川を驚かせる出来事が起きました。

少し開いている隣の部屋、ほんのりとした常夜灯の灯りの中で隣人が死んでいたのです。

蘇生した隣人が停留所から歩いて帰った……はずがありません。

短時間で一体何があったというのでしょうか。

昨夜の波乱万丈な出来事のあらましとは、こんな事だったのです。

真相は藪ではなくカラーボックスの中?

「────はどうなりました」
「……は?」
「────の」
「あの、な、何のことでしょう」
「────────。────────。それが彼の自室にあるのか否かがポイントだと思われます」
「ポイント……って何の?」
「それは先ず、────を確認しないことには」と腕貫男は、ひょろりと体重を感じさせない動作で立ち上がると、カウンターのほうへ歩み寄った。「では次の方、どうぞお入りください」

面食らいながら後ろを振り返ると、そこには順番待ちの列ができていました。

どうやら、ここで蘇川の利用時間は終了ということみたいです。

“お役所仕事的”といえば確かにそうなのですが……。あまりにも突然のことで狐につままれたような感覚になりながらも、言われた通り昨夜名刺をくれた刑事に“ーー”について確認。

『────? さて。まだきっちりと調べたわけではないが、そんなものはなかったと思うな。少なくとも間室氏の部屋には』

「あ。待ってください」ふいに純也は天啓のように閃いた。「間室さんの部屋は物色されていましたよね。何者かの手によって」
『そうだよ。ただ実際に盗まれたものがあるかどうかまでは判らな──』
「判るじゃありませんか」
『ん』
「だから────だったんですよ。間室さんの部屋から盗まれたのは」
『なんだって?』

電話を切ったあと、氷見がアパートへやってきました。

純也は再び、間室氏の部屋へ上がります。

「もしも間室氏が────を仕舞うとしたら、どこらあたりだろう?」
「多分そこのカラーボックスの、一番下の奥だと思います。貴重品の類は全部そこへ放り込んでいたみたいだから」

腕貫男、徹底して「我関せず」

不思議な腕貫の彼は、相談者の話に相槌も打たない。ちゃんと聞いてくれているのか不安になるほどに。

しかし、話はしっかりと聞いていて最後に、ちょっとした解決へのヒントをくれた……と思いきや、「はい、お終い」と言わんばかりに

「では次の方、どうぞお入りください」

無機質な声がそう告げたならば例え、話の途中であっても、相談者の持ち時間は終了です。

しかし、彼からもらったヒントを元に、相談者がお自らの記憶を辿ってみるとスルスルと解決できてしまうのです。

あくまでお客様の私生活に必要以上には立ち入らず、公務員という領分を越えない振る舞いを徹底していて、どこまでも杓子定規的なお役所対応の腕貫男。

……と言えども、彼はあくまで“一般苦情係”にお勤めの公務員。探偵ではありませんでしたね。

しかし、この鋭い洞察力、突飛な発想力、是非とも安楽椅子探偵……ではなく、パイプ椅子探偵を営んでほしいものです。

パイプ椅子探偵の素性知る者なし

腕貫男の元には日々、奇妙な殺人事件から家庭の事情、痴情のもつれ等、様々なお悩みが櫃洗市民から寄せられます。そんな相談者を少しだけご紹介。

【愛し合い、化かし合い】
恋人とヨリを戻せそうで、有頂天だった門叶雄馬。商店街のアーケード、ことの顛末を語り始めましたが……腕貫男の推理では、この恋はどうも単純な復縁へ向かいそうにありません。

この、女性にだらしない男・門叶にはかくかくしかじか……地獄のような未来が待っているのです。そんなことを夢にも思わず復縁を確信し、あろう事か他の女性との情事に耽る様は大変滑稽ですが、 ヨリを戻すどころの話ではない、予想外の事件に巻き込まれてしまいます。

【すべてひとりで死ぬ女】
公衆トイレで撲殺されていた女性は、刑事である氷見がほんの数十分前に洋食店で見かけた女性でした。しかしその時の彼女は何故か昼食をとりませんでした。

その時の様子をずっと不思議に思っていた氷見は、「市民サービス課臨時出張所」を訪れ、このことを腕貫男に相談します。
氷見自身が違和感を上手く言葉ににできないのは何故なのか。

どの章でも「櫃洗市」という舞台や時間軸は連続していて、各話の相談者達に少しずつ関わりがありますーー。

その「狭い世界」の中で巻き起こる様々な不思議な事を、次々と解決してくれる、そんな快刀乱麻のように活躍するその彼は普通の意味での「無愛想」、「素っ気ない」とは少し違っているような気がするのです。例えばどういう価値観の持ち主なのか、どういう思想なのだろうか、想像する取っ掛りに欠けている、正面のパイプ椅子に座り、悩み相談をしたのにあとで風貌を憶い出そうにもいささか困難かもしれないーー。

しかし、その特異な存在が「あれは夢だったのではないか」と錯覚させ、異世界に迷い込んだような趣があります。

ご紹介した「腕貫探偵」はシリーズもの。「腕貫探偵 ー残業中ー」、「探偵が腕貫を外す時」、「帰ってきた腕貫探偵」、「必然という名の偶然」 「逢魔が刻」etc…

と、沢山の作品があり、様々な場所で市民の皆さまのお悩みを解決しています。

どの作品も、彼の鋭さや想像力の豊かさに驚くものばかりです。

仕事や学校、毎日の目まぐるしい日々に疲れて、悩み事を抱えて鬱屈としながら、歩いていたら櫃洗市民ではなくても、いつか貴方もくだんの貼り紙に出会えるかもしれません。

市民サーヴィス課臨時出張所
○○市民のみなさまへ
日頃のご意見、ご要望、なんでもお聞かせください
個人的なお悩みもお気軽にどうぞ

「次の方、どうぞお入りください」

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