傾城に真があって運のつき——『江戸へようこそ』に学ぶ遊郭のまこと

「わたしのこと、どれくらいすき?」

と問われた時、あなたならどう答えますか?

感情は可視化できないですから、わたしたちが愛の深さを客観的に証明することは、ほとんど不可能でしょう。

それでもなお、この言葉は今も世界中でささやかれているに違いありません。人間は、承認されたい生き物ですから。

『江戸へようこそ』から、「ありんす国だより——吉原について」の章では、遊郭における、大胆で過激な愛の証を見ることができます。遊女たちがどのようにして不確かな愛を証明していたのか。その命がけの行為から、本当の愛とは何かを探っていきましょう。

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遊女の心中とその真

様々なやりとりをして楽しむ吉原には、遊女がどれほど男(お客)を想っているかを行動で示して見せる、「心中」という行為が六つ存在します。これは男女が共に命を絶つ心中とは異なるもので、心の中、つまり自分の「本心」を相手にみせる、という意味があります。

一、放爪(ほうそう)・・・爪を剥がしてお客に与えるもの。
二、断髪・・・髪を切って与えるもの。
三、入れ墨(いれぼくろ)・・・腕のところにお客の名前を彫るもの。最も上等なものは、男の人に文字を書いてもらって、その筆跡通りに彫ります。
四、切り指・・・小指の第二関節から上を切って、桐箱に入れて男に渡すもの。
五、貫肉(かんにく)・・・腕やももを刃先で突くというもの。もともとは衆道(男色のなかでも武士同士のもの)において行われるものでした。

上記のものとは少し毛色が異なりますが、

六、誓詞(せいし)または起請(きしょう)

というものがあります。

一般には「熊野誓詞」といいます。和歌山の熊野神社で手に入る熊野牛王という紙に、「わたしたちは二世を誓う間柄である」という文面をしたため、血判を押して女と男とで一枚ずつ持ち、残りの一枚を神社に納めました。吉原には熊野誓詞を売りに来る行商人がいたため、遠くに行かずとも手軽に買えたのだそうです。

熊野牛王の裏には烏が刷られており、熊野誓詞を一枚書くと、熊野で使い姫の烏が三羽落ちて死ぬと言われています。

高杉晋作の作った有名な都々逸、「三千世界の烏を殺し ぬしと朝寝がしてみたい……」には、そのような意味が隠されていたのです。

爪をはがしたり、指を切ったりと、聞いているだけで痛々しく、身震いしてしまうものばかりでしたが、実はこの心中には仕掛けがあります。ここからは、遊郭の「真」についてみていきましょう。

放爪は、本物の爪を与えるわけではありません。妹女郎に小指の爪を伸ばさせておいて、十分に伸びたところで切るのです。自分の指には包帯を巻いておいて、その妹女郎の切った爪を、お客に与えました。

断髪は、かもじ(添え髪)をやったり、自分の髪でないものをやったりする場合がほとんどでした。しかし、実際にお客に切ってもらうこともあったそうです。他のもの(が本物であるならば)に比べれば差しだしやすいものですが、本人の髪の毛をその場で手に入れることができるのですから、お客は大変喜んだことでしょう。

入れ墨は、洗えば落ちる油性のもので文字を書き、照明の暗いなかでチラッと見せました。疑ってもし本当に落ちなかった場合、自分の面子が丸潰れになるので、客はそういうことはしなかったようです。

たとえ本物の入れ墨をしてしまっても、熱くなった煙管を押し当てたり、たてつづけに灸をすえたりすれば、ケロイド状になって消えてしまいました。

「ふてえあま腕に火葬が二ツ三ツ」という川柳ものこされています。人の名前を熱して消すことを火葬と表すのは、洒落が効いていて江戸らしいですね。

切り指は、ほとんどがしんこ細工で作られており、貫肉は、芝居に使うような金貝張りというウソの刀に血糊をつけて、その場を演じました。

これが、心中の真実です。愛情表現に痛みや苦しみが伴うほど、想いが強いことの証になるのでしょうが、これらを本当にこなしていた遊女は稀だったと思われます。

遊女もお客も、その場で繰り広げられるやりとりが、全て「偽り」であることを大前提として楽しんでいました。そう考えると、吉原はなんだか、現代のテーマパーク的な要素を含んでいるように思います。提供する側と遊ぶ側との共通認識があってやっと、その場の世界観が完成されるのです。

吉原がどのように捉えられていたかというと、まったく別天地として考えられていました。それは手で触れることのできる夢、日常と地続きの非日常でした。

杉浦日向子『江戸へようこそ』p.16

 この記述からも分かる通り、吉原はまさに、江戸にある「夢の国」だったのではないかと思います。

江戸の精神性——不自由のなかにある自由

本書は、江戸への入り口です。春画や戯作、粋についてなど、江戸に触れるならば知っておきたい概念を、包括的に学ぶことができます。また、当時の読み物である黄表紙の代表作、『金々先生栄花夢』の本文がそのまま掲載されているため、江戸の文学を存分に楽しめます。

どの時分に誰が何をした、というようなことは、たいてい教科書を読めば分かります。本書では、教科書が拾いきれなかった、江戸の繊細な部分を、ひとつひとつ手に取って見ることができるのです。

江戸という時空間においては、生まれ持った身分が、その人の着るもの、喋る言葉、日常の振舞い方、すべてを決定づけました。どんな服を着て、どんな進路を歩み、どんな人と繋がりをもつのか。現代を生きる私たちは、あり余る選択肢の波に溺れているような気がします。自分が何者であるのかを、自身で証明しなければいけない。自由であるにも関わらず、窮屈さを感じてしまいます。

江戸のあっけらかんとした明るさは、あきらめの先にあるものなのではないかと思います。江戸では「分をわきまえる」ということがよく言われたそうですが、それはつまり身の丈以上のもの・ことを諦めるということ。ありのままの自分を受け入れることで、生きることが楽になる、というのは、今も昔も変わらないのかもしれません。

異国のような気もするけれど、親しみ深いような気もする、粋な江戸の価値観に触れて、心の時空旅行をしてみませんか?

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