『掃除婦のための手引き書』はいくつかの点において目を引く書物だ。まず小説らしからぬそのタイトル。それから装丁。モノトーンを基調とした表紙には、往年のハリウッド女優と思しき美女の、白黒のポートレートが印刷されている。
興味をひかれてそれを手に取ったあなたは、きっと驚かされることになるだろう。第一に、ページを繰る手が止まらなくなるほど面白いのだが、その面白さがいまだかつて体験したことのないものであることに。第二に、それほど素晴らしい作品を書いたルシア・ベルリンという作家が、死後10年を経るまで日本のみならずアメリカ本国においても、長らく無名の存在であったことに(そしておまけに、表紙の人物が、実は作家本人であったことに)。
ルシア・ベルリンは1936年にアラスカに生まれ、幼少期は父の仕事の関係で北米の鉱山町を転々として暮らした。5歳のときにテキサスの祖父母の家に移り住み、アルコール依存症の家族に囲まれた、あまり好ましいとは言い難い環境で少女時代を送った。終戦後はチリに移住し、18歳で大学に進学するまで成長期の大半を、貧民街から一転して召使い付きのお屋敷で、裕福な家庭のお嬢様として過ごした。成人してからは、3度の結婚と離婚を経て4人の子供を抱えたシングルマザーとなり、学校教師、掃除婦、電話交換手、看護助手として働く一方、薬物やアルコールの依存症に苦しんだ。90年代に入ると刑務所や大学で創作を教えるようになり、2000年にはコロラド大学の准教授になった。健康が徐々に悪化し、2004年の68歳の誕生日、ガンでこの世を去った。
20代半ばごろから執筆をはじめ、彼女は生涯に76篇の短編小説を書き残した。その斬新な作品はレイモンド・カーヴァーやアリス・マンローなど、赫々たる作家たちに影響を与えたが、生前も死後も長らく一部にその名を知られるにとどまっていた。今日のように一般の読者に認知されるようになったのは、死後10年を経て、アメリカで2015年に、彼女の残した作品群から43篇を選んだ作品集がリディア・デイヴィスの序文とともに刊行されてからのことである。それをきっかけに再評価が進み、世界中で翻訳され、ついにルシア・ベルリンの作品は多くの読者を獲得することになった。
2019年に刊行された『掃除婦のための手引き書』(岸本佐知子訳、講談社)は、その作品集の中から24篇を選んで翻訳した短編集である。そして残りの19篇を訳したのが、2022年に刊行された『すべての月、すべての年』(同じく岸本訳、講談社)だ。
『掃除婦のための手引き書』
小説家を大きく2つのタイプに分けるとする。想像力を駆使して物語を膨らませる小説家と、自分の実体験を題材にして書く小説家。もちろんこれはあくまで便宜的な区分けであるけれど、このような観点に立つならば、ルシア・ベルリンは明らかに後者に位置する。
自分の実体験を素材にして書く小説家といえば、たとえば同じアメリカの作家では、F・スコット・フィッツジェラルドなどが挙げられるだろう。しかし彼女の場合はもっと直接的というか、 まるで自分の人生そのものを切り取って、それをそのまま作品として提供している感がある。実際、少なくとも彼女の書いたいくつかの作品では、小説というよりはエッセイやノンフィクションを読んでいるような印象を受ける。
ふつう「エッセイのような小説」という表現は、褒め言葉としてはあまり用いられないかもしれない。それは作者がストーリーテラーとしての資質を欠いていることを示唆していることもあるからだ。事実、ルシア・ベルリンの小説には、物語的な起承転結はさほど見られない。彼女が描くのは、一般庶民(だいたいブルーカラー)の何気ない日常だ(たとえば場末のコインランドリーでの、アルコール依存症の年寄りのインディアンとの交流とか)。女性の一人称の語りを用いることが多く、複数の短編小説の主人公は同一人物ではないかと思わせる点がある(同名の家族がいたりする)ことから、いよいよ小説の主人公である「わたし」とは、ルシア・ベルリン本人ではないかという印象を読者に与える。
とはいえここが重要なポイントなのだが、ルシア・ベルリンの作品の魅力は、これはノンフィクションではないかと読者に錯覚させるほどのリアリティーを備えていながら、それでいてなおかつ、ほかのどんな小説にも負けないほど面白い(そう、彼女の小説はまず何よりも、読むことそれ自体が快楽になるほど「面白い」のだ)ところにある。
彼女独自の、いくぶん粗野でアイロニカルな語り口。強烈な存在感を放つ、個性的な(もっとあけすけに言えば「イカれた」)登場人物たち。ときにジャンプする、軽やかでリズミカルな文体。ふと垣間見える豊かな詩情。
冒頭で触れた彼女の波乱万丈の生涯を考えると、さぞかし苛酷な現実を描いたリアリズム小説なのだろうと想像されるかもしれない。だが、実際はまるで違う。たしかに小説の主人公たちを取り囲む環境は苛烈であることには変わりないのだが、作家は当事者(≒過去の自分自身)の心情にぴったりと寄り添っているわけではなく、彼女たちを描く筆のタッチはユーモアに満ちている(たとえば少女時代の「わたし」が、「西テキサス一腕のいい歯医者」ではあるが「邪険で偏屈で、人を人とも思わな」い、日々酒びたりの祖父の歯を全部抜く話などは、ややもするとトラウマになりかねない体験ではあるものの、終始コメディタッチで貫かれており、読者に家庭環境の暗さや自己憐憫を感じさせない)。
そしてもちろん、ルシア・ベルリンの作品はただ笑えるだけではない。たとえば表題作の「掃除婦のための手引き書」は、先立った夫に思いを馳せ、毎日死ぬことばかり考えながら、バスに揺られて他人の家に通うシングルマザーの掃除婦の話。タイトルの通り、途中途中に掃除婦に向けた実際的なアドバイスが差し込まれる(友だちの家では働かないほうがいいとか、初日は家具をぜんぶまちがって戻したほうがいいとか)。全体としては軽やかでユーモラスな雰囲気が漂う作品ではあるものの、ときに孤独が見え隠れする。いや、つねに底流をなしていると言ったほうがいいかもしれない。人目にはつかない、しかし胸をえぐるような孤独だ。その孤独に、わたしたちは深く心を動かされる。
『すべての月、すべての年』
先にも述べたように『すべての月、すべての年』は、アメリカで2015年に出版された作品集に収められた短編小説43篇のうち、『掃除婦のための手引き書』に収録しきれなかった残りの19篇を翻訳したものである。そのため前作を気に入った方は、本書も楽しめるであろうことは間違いない。
とはいえ、読んだときの印象は少し異なるかもしれない。というのも本書には前書に比べてボリュームのある短編小説が多く収録されており、そのぶんわりあいストーリー・ラインのある、より小説らしい小説(変な言い方だが)が増えているからだ。
たとえば巻頭に配置された「虎に嚙まれて」という作品は、親戚が一堂に会するクリスマスパーティーに参加すべく、子連れの「わたし」が故郷のエルパソ(アメリカ合衆国テキサス州)を訪れる話だが、それは次のような書き出しではじまる。
エルパソが近づいて、列車は速度を落とした。わたしは赤ん坊のベンを起こさずに、そのまま抱っこしてデッキに出た。外の景色をながめたかった。それに匂いもだ、この砂漠の匂いを嗅ぎたかった。カリーチェ土、セージ、精錬所の硫黄、リオ・グランデ河岸のメキシコ人小屋の焚き火の匂い。聖なる土地。戦争中に、祖母のメイミーと祖父と同居するためにはじめてここにやって来て、そのときはじめてイエス・キリストやマリア様や聖書や罪のことを聞いた。だからエルパソのぎざぎざの山並みや砂漠は、わたしの頭の中ですっかりイェルサレムとごっちゃになっていた。
(ルシア・ベルリン (岸本佐知子訳) (2022) 『すべての月、すべての年 ルシア・ベルリン作品集』講談社 p.10)
このあと駅に到着すると、「たぶん西テキサス一の美人」という従姉がキャデラックに乗って登場する。この従姉がまた精彩あふれる魅力的なキャラクターで、ドストエフスキーの小説に出てくる登場人物ばりに長広舌をふるう。従姉との会話のなかで、「わたし」がもう1人の子供を身ごもっていることが明らかになる。従姉には中絶を勧められ、物語は、メキシコ国境を越えて、砂漠の真ん中にある堕胎工場へ......というふうに展開していく。微妙な情感の描き方が素晴らしい、ルシア・ベルリンの短編小説の中でも指折りの作品だ。
ところでせっかくルシア・ベルリンの文章を引用したから、彼女の文体についても少し触れておきたい。ルシア・ベルリンの短編小説は、読者に、これは作家が直接体験したことに違いないと思わせるだけの説得力を備えていると先に書いた(そして実際、少なくない部分がその通りなのだろう)。そのリアリティーを支えているのは、もちろん彼女の文章だ。ルシア・ベルリンの描写力は凄まじい。しかし凄まじいにもかかわらず、それとは一見相反するようではあるが、かなり簡素なのも特徴のひとつだ。それはたとえば、次のとても短い一段落にも見て取ることができる。
霧。白いツルが二羽。船のそばでウミガメが水を掻く音。ランタンの灯が風にまたたき、稲妻が海を薄緑色に照らした。ツルが飛び立ち、雨が降りだした。
(ルシア・ベルリン (岸本佐知子訳) (2022) 『すべての月、すべての年 ルシア・ベルリン作品集』講談社 p.104)
単語の羅列のようではあるが、彼女は情景を的確に、最小の文章量で最大の効果を発揮するように、わたしたちの目の前にあっという間に立ち上げてみせる。魔術師みたいに鮮やかな手つきだ。読者は気づいたときにはもう、そのなかにいる。
最後に、今しがた引用した表題作「すべての月、すべての年」についても少し触れておこう。これは3年前に夫を亡くした旅行中のスペイン語教師が、メキシコの静かな入江でダイバーたちと出会い、そこで暮らしながら、スキューバ・ダイビングを通して再生していく物語だ。ルシア・ベルリンの小説にしては珍しく、いつものユーモア・タッチが抑えられている。終始一貫してシリアスかつ詩的なムードが漂う作品で、冒頭の夜の華やかなリゾートホテルから、神秘的な海中まで、全体を通して情景描写の美しさが際立っている。静謐な雰囲気のなかにロマンスやミステリーの要素もある、極めて完成度の高い傑作だ。
さいごに
さて現在のところ、ルシア・ベルリンの邦訳書はここで紹介した『掃除婦のための手引き書』と『すべての月、すべての年』の2冊である。それ以外に日本語で読める作品としては、「火事」(岸本佐知子編訳『楽しい夜』2016年、講談社 収録)がある。アメリカでは2018年に、22篇を収録した新しい作品集が出版されている。そちらもぜひ岸本さんの、翻訳で読んでいるとは思えないほどこなれた、ルシア・ベルリンの魂に直に触れられるような名訳で読んでみたい。
ルシア・ベルリンの小説には、彼女の作品を読むことでしか味わえない魅力がある。それは彼女が題材を、人とはずいぶん異なる、濃密で多彩な人生にとっているといったことだけにとどまらない。唯一無二の個性的な文体。鋭い観察眼。横溢するユーモアと、その奥底に流れる孤独。すべてが渾然一体となってオリジナリティを形成している。そしてその類稀なる果実を味わうためには、準備は何もいらない。この記事で紹介した2冊のうちどちらからでもいいし、どこから読んでもいい。とにかくページを開いてみてほしい。