比喩は絶妙な調味料!あなたの小説にスパイスを効かせる方法

皆さん初めまして、創作サークル綾月の十文字兄人です。

こちらで記事を書くのは初めてです。今回は、比喩表現について書かせていただきます。

比喩というと、小説を書く上で自然と使っている人もいると思います。

例えば人物描写や自然描写、特に登場人物の感情などを表現するのにはお誂え向きです。それでは、比喩が小説においてどのような役割をしているのか。それを私なりに考えてみました。皆様の創作の参考になれば幸いです。

「比喩」とは何か?

さて、そもそも「比喩」とは何なのか。そこから紐解いてみます。

辞書を引いてみると、以下のように説明されています。

物事の説明に他の物事を借りて表現すること。たとえること、たとえ。

(精選版 日本国語大辞典)

要するに、物事を説明するツールということですね。しかし、例えば「小説」を言葉で説明する時、単に「文字だけで書かれた物語」と説明するのとは少し違います。説明と言えど、類似した別のものに喩えることが重要なのです。

比喩の中にも直喩や隠喩といった種類がありますが、今回はそこに触れず、「小説における比喩の在り方」について考えていきたいと思います。

「美味しい」の違い

ここでひとつ、例文を出して検討してみたいと思います。

比喩表現に関して、ひとつの例として形容詞を喩えるという方法があります。

たとえば、「美味しい」。一口に美味しいと言っても、どう美味しいのかを相手に伝える場合には様々な方法があります。これは文章に限らず、グルメリポートなどをする際にも重要な表現方法ですね。

小説において、比喩の有無が文章にどのような影響を与えるのかを検証してみましょう。

以下、例文は全て私のオリジナルの文章です。

 
■例文

●比喩無し

「とても美味しそうなカレーライス。」

●比喩あり

「まるでオアシスの水のようなカレーライス。」

「美味しい」というのは形容詞です。ここで、私はカレーライスの味を「オアシスの水」と喩えております。なるべく形容詞を使わずに、比喩で表現するのが一般的な使用例でしょう。

単に「うまい」や「美味しい」と表現すれば、間違いなくそれは美味しいものだとわかります。伝わりやすさを重視するなら、比喩を用いる必要はありません。カレーライスは大抵美味しいので、「美味しい」と表現する必要すらないかもしれません。

私の表現が適切かどうかはさておき、単に「美味しい」とだけ付け加えた場合、その文章中に登場するそのカレーライスに読者の注意が向くことがありません。

より読者にカレーライスに注目してもらいたい時こそ、そこで比喩を用いるのです。

まさにそれは、文章の味付けを変えるといって良いでしょう。より美味しくするというより、より美味しそうにする! という意味合いです。
しかしどんな料理に関しても、単純にたくさん調味料を加えれば美味しくなるわけではありません。
 

■例文

「まるでそれはオアシスの水のようなカレーライス。鼻から胃袋へと香りが遠慮無く入ってくる。一口ほおばると、辛みと甘みが手を繋ぎ、舌の上で踊っていた。」

この文章、一見文章力のある表現ではないかと思いませんか。(頑張って考えました。汗)

しかし、これが何万文字もある小説の中の一文だとするとどうでしょう。百歩譲ってカレーライスがメインの物語で、他にも料理の描写が数多く使われているのなら良いのかもしれません。しかし、そう重要でもないひとつのアイテムとしてカレーライスが登場する場合、これでは少し冗長な文章に受け止められても仕方ありません。

注目して欲しいものと、そうでないものの区別をハッキリさせて比喩を使っていくことが大切です。読者の感じ方は千差万別と言ってしまえばどうしようもありませんが、読みやすい文章と表現豊かな文章は紙一重な気もします。

言葉を創造する

ここでひとつ、参考文献より引用します。

陳腐な比喩は別として、そもそも比喩表現は、ある対象をもともとそれと似たものに喩えるのではなく、その対象を別のカテゴリーで捉えようとする試みだったのではないか。レトリックというものが本来そうであったように、比喩表現もまた、そういう一つの考え方の試行であり、世界解釈の手段として力を発揮する。類似をなぞるのではない。すぐれた比喩は新しいものの開拓であったことに、今あらためて気づくのである。

(中村明『比喩表現の世界』)

中村明氏は比喩表現の研究家としては第一人者といってもいい人物です。

中村氏によれば、比喩は新しいものの見方を提示しているというのです。カレーライスをただの食べ物というカテゴリで表現するのではなく、例えばグルメレポートでは有名な比喩である「宝石箱」や、私が考えた「オアシスの水」など、別のカテゴリのものとして表現することによって、カレーライスの新しい見方になるのです。

「宝石箱のようなカレーライス」と喩えれば、それはとても高級で食材ひとつひとつが価値の高いものを使っているカレーのように感じます。

「オアシスの水のようなカレーライス」と喩えれば、それは飢えから救ってくれる命のカレーのように捉えることができます。

美味しいカレーライスを、全く別のもので喩える。それはつまり全く新しいものを創造しているということなのです。皆さんが物語を生み出す中で同時に比喩を使い、新しいものの見方を生み出すこともできちゃうわけです。そう考えると、文章を書くのが楽しくなってはきませんか?

皆さんが比喩を用いる際は、こういった用途で使うのも良いのかもしれませんね。

まとめ

小説の物語の中で、突如それまでの文脈から外れた一文が現れたらどうでしょう。読者の目は一気にその一文へと引き込まれます。

目の肥えた読者ほど、突飛な比喩には食いつきます。美食家と言われる人たちも同じような行動を起こすもので、「この料理の隠し味は味噌だね」というように、ソースやスープに隠された味付けにまで気づいたりします。

それは小説の評論家と似ていると私は思うのです。「ここでこの比喩を用いたのは絶妙だ」なんて言う人は少ないかもしれません。しかし皆、知らず知らず文章を読みながら感じているのです。文章の中にある深い味わいを。

比喩も隠し味も、バランスが重要です。比喩を料理における調味料に喩えるなら、やっぱりバランスを間違えれば台無しにしてしまうのだと思います。

ぜひ皆さんも、比喩という味付けを忘れずに。決して塩と砂糖を間違えるような文章だけはしないように気をつけていきましょう。

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2015年7月に設立したこのサークルは、現在12名のクリエイターが所属しています。 『創作サークル綾月』では文筆やイラストを初めとしたさまざまな創作行為を通して表現活動をしております。 月に一度「綾月ラヂオ」というラジオ企画をツイキャスで配信しておりますので、宜しければぜひご視聴下さい。 モットーは「一人でできないことも、綾月でならできるかも」 どうぞよろしくお願いします。