ドストエフスキーというと、どういうイメージでしょうか?
重い? 難解? いいえ、そこには深い深い萌えの沼が横たわっているのです。
ドストエフスキー作品はBLの宝庫。男たちの情念と思想のぶつかり合いは、BLファン必読です。噛めば噛むほど味が出る一生ものの沼にハマってみませんか?
ドストエフスキーとは
フョードル・ミハイロヴィチ・ドストエフスキー(1821-1881)は、ロシア帝政末期の大作家です。代表的な作品としては、『罪と罰』『白痴』『悪霊』『カラマーゾフの兄弟』の4大長編が挙げられます。28歳のとき空想的社会主義に関わったことにより死刑判決を受けたものの、銃殺刑執行直前に皇帝の恩赦を与えられました。この経験は、作品に大きな影響を与えたといわれています。また、自身の癲癇の発作や賭博癖もいくつかの小説に登場する要素です。
この記事ではドストエフスキーの小説のなかで、わたしが偏愛するCP(カップリング)を3つ紹介します。
アリョーシャ×イワン/『カラマーゾフの兄弟』
最初に取り上げるこのCPは、敬虔な弟×無神論者の兄のBLです。攻めのアリョーシャはカラマーゾフ家の三男で一見ピュアピュアな修道僧見習い。一方、受けのイワンは次男で冷徹な印象さえ与える理科大を出たインテリ。
幼い頃ふたりは放蕩に耽る父フョードルによるネグレクトの結果、養育者ポレーノフに引き取られて育てられました。四歳離れている兄弟は、当時互いに友達にもなれず、神童だったイワンは13歳で家を出て学校に行ってしまいます。それ以来離れて育ったふたりはこの小説のなかで約10年ぶりに再会しますが、それでもなかなか親しくなることはできません。やっと親しく話し合ったのは、別れを告げる直前でした(第2部第5編プロとコントラ)。
イワンはアリョーシャに幼い頃好きだったサクランボのジャムを勧め、話し始めます。 彼が意外なことに青臭いほど熱く語ったのは、人生そのものを愛することや、また神が創ったこの世界を受け入れないこと。神が創った世界で罪のない子どもが苦しむ理不尽を許せないイワンは、ある意味でアリョーシャ以上に繊細な道徳感情を持っているといえるでしょう。
そして、このシーンのクライマックスこそ、有名な「大審問官」です。「大審問官」はイワンが作った物語詩で、異端審問官がイエス・キリストその人を火刑にしようとするものの、イエスからの無言のキスを受けて解放するという内容でした。
それに対するアリョーシャの反応は予想外のものでした。
アリョ―シャはとつぜん立ち上がり、彼に近づくと、何も言わず、彼の唇に静かにキスをした。
「実地で盗作ときたか!」イワンが、なぜか有頂天になって叫んだ。(『カラマーゾフの兄弟2』光文社古典新訳文庫 P299)
まさにこのキスは赦しであり、祝福であり、根源的な愛です。ここは様々な解釈・反応がありえるとは思いますが、実は筆者個人は「えっ?アリョーシャ怖い!」と打ち震えました。アリョーシャは「神がかり」の母の血を色濃く引いているという描写がありますが、まさにここでのアリョーシャは「神がかり」だと思います。人生を肯定(プロ)するが故に神が創った世界を否定(コントラ)するイワンを、さらに肯定(プロ)する超越的な神の愛。それほど恐ろしく、感動的なものはないでしょう。
このCPは究極的には神×人なんじゃないかと思う時があります。神(アリョーシャ)の前で人(イワン)は、あまりにいじらしくかわいい存在です。なんて人間はかわいいんだ!人間最高!と思えるのが、まさにこのCPの醍醐味なのです。
シャートフ×キリーロフ/『悪霊』
実は『悪霊』という小説は、スタヴローギンという異常なカリスマ美男子の総受け小説と言っても過言ではありません。界隈で最もメジャーなのはピョートル×スタヴローギン(「あなたは太陽だ」)だし、シャートフ×スタヴローギン(「ぼくがあなたの足跡にキスしないとでも思うんですか?」)やキリーロフ×スタヴローギン(「思いだしてください、……あなたがぼくの人生で何を意味していたか」)もあります。スタヴローギンは様々な異なる思想を周囲に植え付けてしまうカリスマですが、実は本人は何も信じていません。すべて口から出まかせなのに、周囲が勝手に付いて行ってしまうのです。
その中で、なぜこのシャートフ×キリーロフというマイナーなCPを推しているか。それは、このふたりがあまりにかわいすぎるからです。
シャートフは汎スラヴ主義を、キリーロフは正反対の人神思想をスタヴローギンに植え付けられた結果、『苦しい社会状況に置かれた人間の状況をわが身で検証する』ためにふたりはアメリカに渡ります。
「1コペイカの品に1ドル吹っかけられながら、それに大喜びするどころか、有頂天になって金を出すんですから。何もかも賛美していました。(中略)あるとき汽車にのっていると、1人の男がいきなりぼくのポケットにてを突っ込んできて、ヘアブラシを取りだして髪をとかしだすじゃないですか。ぼくとキリーロフはもう、おたがい顔を見あわせるばかりで、こいつはいい、ひじょうに気にいったって、うなずきあったぐらいです」
(『悪霊1』光文社古典新訳文庫 P337)
そのとき開拓民の使用人として雇われたものの、支払いを誤魔化されたり殴られたりして逃げ出した結果、他の仕事にもつけず、ある小さな町で四カ月間、床にごろごろ寝ころがっていたそうです。それぞれにスタヴローギンに植え付けられた全く別の思想を深めながら。
それ以来、ふたりは同じ家に下宿しながらも、つきあいを絶ちます。それについて、「アメリカでいっしょにだらだらしていた時間が長すぎて」とキリーロフは説明しています。
ちなみに物語の最後に、シャートフは仲間に殺害されますが、「シャートフがかわいそうだ」と言いながらもその罪を遺書で引き被ったのも自殺したキリーロフです。
最後に本質的なふたりの共通点について触れておきたいです。それは、ふたりが異なるやり方で、万物を愛しているということです。汎スラヴ主義と人神論は正反対のように見えて、作中では対になるものとして描かれています。ふたりの思想について詳しく述べるには紙幅が足りないため割愛しますが、この思想のぶつかり合いも最高です。
ムイシュキン×ロゴージン/『白痴』
「無条件に美しい人間を描くこと」そのようにドストエフスキーが『白痴』を書いた意図を説明しています。もし当時のロシアにイエス・キリストのように「無条件に美しい人間」が登場したとしたら、「白痴」として生きる他ないだろう、というのがこの小説のテーマです。
その「無条件に美しい人間」こそ、白痴から回復した純粋無垢なムイシュキン公爵です。それに対して、ロゴージンは強欲な成金。ふたりは、ナスターシャ・フィリポヴナという女王様系美女とアグラーヤというツンデレ系美女との恋の四角関係を繰り広げます。
実は、この作品のなかで筆者が一番推しているCPはナスターシャ・フィリポヴナ×アグラーヤの百合です。しかし、この百合は残念ながら分断されて終わります。この4人のなかで、最後に本当に愛し合って終わるのはムイシュキン×ロゴージンだけなのです。
まずムイシュキンとロゴージンが出会ったのはサンクトペテルブルクに向かう列車のなかでした。すぐさまふたりはお互いを気に入ります。
「公爵、なぜだかわからんが、おれはあんたにほれちまったよ」
(『白痴・上』新潮文庫 p28)
ロゴージンは「憎しみとすこしも区別がつかない」愛から、ムイシュキンは「恋ではなく憐れみの」愛から、ナスターシャ・フィリポヴナに求婚します。彼女はロゴージンとともに去ったかと思うと、ムイシュキンのもとに逃げるなどを繰り返し、ふたりの間を行き来します。
その間にもふたりは時々会っていて、互いの十字架を交換して「兄弟の契り」を結んだりしますが、ロゴージンは嫉妬のあまりムイシュキンをナイフで刺し殺そうとします。
「おれはあんたが眼の前からいなくなると、すぐにあんたに憎しみを感じるんだよ……ところが、いま十五分もいっしょにいないのに、もうその憎しみは消えちまったよ。そして、あんたが元通りかわいくなっちまったよ。もうすこしいっしょにいてくれよ……」
(『白痴・上』新潮文庫 P471)
やがてアグラーヤとムイシュキンは恋に落ちます。すると、ナスターシャ・フィリポヴナはアグラーヤにムイシュキンと結婚するよう勧める手紙を何通も書きます。その手紙は、アグラーヤをムイシュキンとほとんど同視して愛を告白するものでした。
しかし、最終的にはムイシュキンとナスターシャ・フィリポヴナが結婚式を挙げるまさに直前に、ナスターシャ・フィリポヴナはロゴージンと逃げ、殺害されます。
最後のシーンは圧巻のカタストロフィです。死んだナスターシャ・フィリポヴナの側で、ムイシュキンは熱にうなされるロゴージンの頭や髪や頬をひたすら撫で続けながら、もとの白痴に戻っていくのです。
結局、ドストエフスキーとしては、ロゴージンの地上的な愛に対して、ムイシュキンの天上的な憐れみの愛の至上性を訴えたかったのでしょう。しかし、筆者としては、汚辱にまみれつつも誇り高いナスターシャ・フィリポヴナが本当に必要としていたのは、ムイシュキンでもロゴージンでもなく、アグラーヤの愛だったのではないかとも思っています。
おわりに
ドストエフスキー作品に登場する3大推しCPを紹介してきました。
ドストエフスキー作品には他にも『罪と罰』のラズミーヒン×ラスコリーニコフなどの多くのCPがあり、男たちの愛があふれていますので、ぜひ読んでみて下さい。
さて、『カラマーゾフの兄弟』では、理屈を超えた生きたいという願望、根源的な生の肯定のことを”カラマーゾフ”という言葉で象徴しています。ここで紹介した愛し合う男たちの生を寿ぐために、この台詞でこの記事を締めくくりたいと思います。
「カラマーゾフ万歳!」