芥川vs.谷崎論争は今も続いている──『文芸的な、余りに文芸的な/饒舌録』

今から90年以上前に、とある文学論争が起こりました。論争を繰り広げたのは芥川龍之介と谷崎潤一郎という、日本を代表する二人の作家で、この論争は通称「芥川vs.谷崎論争」と呼ばれています。

「芥川vs.谷崎論争」は大まかに言えば、話の面白さが小説に芸術性を与えるか否か、という議論になります。谷崎は話の組み立てが整っている小説ほど芸術的価値が高まると主張し、一方の芥川は話らしい話がなくとも小説の価値は揺るがないものだと反論しました。

互いの文学論をぶつけ合ったその論争は、日本文学の転換点とも呼ばれるようになります。

私がこの論争を知ったのは大学生の頃でした。先輩から二人の論争をまとめた本を紹介されたことがきっかけだったのですが、初めてその本を読んだ時は内容が難しく、二人の主張を十分に理解することができませんでした。

そこから、大学の教授に解説をしていただいたり、改めて読み返してみたことで、「芥川vs.谷崎論争」には現代にも通じる問題について語られていたことに気づいたのです。

私が得た発見について、教授からご指南いただいた記憶を思い出しつつこれから綴ってみたいと思います。

文壇を賑わせた二人の文豪

はじめに、芥川vs.谷崎論争の経緯について要約していきましょう。

ことの始まりは、1927(昭和2)年1月。谷崎潤一郎は『文藝春秋』に「日本に於けるクリップン事件」、『改造』に関東大震災に遭遇した体験記「「九月一日」前後のこと」という作品を発表しました。

それから同年2月の「新潮合評会」で谷崎のこの二作品が取り上げられたのですが、そこで芥川龍之介が「谷崎氏の作品に就て言をはさみたい」と切り出し、「話の筋と云うものが芸術的なものかどうかと云う問題、純芸術的なものかどうかと云うことが、非常に疑問だと思う」と問題提起しました。

それを受けて、谷崎が同年2月の『改造』にて「新潮合評会」における芥川の発言に反論し、「筋の面白さ」=「構造的美観」について言及しました。

そこから芥川は『改造』に「文芸的な、余りに文芸的な』の連載を始めて、谷崎の「筋の面白さ」に対抗するように「「話」らしい話のない小説」を提唱しました。これによって二人の文豪による文学論争が勃発し、その後の日本文学史に残る名論争を繰り広げることになるのです。

ここからは、2017年に講談社文芸文庫より刊行された『文芸的な、余りに文芸的な/饒舌録 ほか 芥川vs.谷崎論争』(編者:千葉俊二)を元に、谷崎の「構造的美観」、芥川の「「話」らしい話のない小説」の内容を要約していきます。

谷崎潤一郎の「構造的美観」

まずは、谷崎の「構造的美観」について説明していきましょう。

「構造的美観」の「構造」とは、話の筋のことを指します。プロットと言い換えてもいいかもしれません。

谷崎曰く、話の「筋の面白さ」とは「物の組み立て方、構造の面白さ、建築的の美しさ」だとされています。そして、「凡そ文学に於て構造的美観を多量に持ち得るものは小説である」と述べています。それゆえに、「筋の面白さを除外するのは、小説と云う形式が持つ特権を捨ててしまう」として、谷崎は話の「構造」の美しさが小説の価値を生むのだというのです。

また、谷崎によれば「日本の小説に最も欠けているところは、此の構成する力、いろいろ入り組んだ筋を幾何学的に組み立てる才能にある」といいます。

深き呼吸、逞しき腕、ネバリ強き腰、──短篇であっても、優れたものには何かそう云う感じがある。長篇でもアヤフヤな奴は途中で息切れがしているが、立派な長篇には幾つも幾つも事件を畳みかけて運んでくる美しさ、──蜿蜒(えんえん)と起伏する山脈のような大きさがある。私の構成する力とは此れを云うのである。

谷崎はこの「構成する力」について、『源氏物語』は「我が国の文学中では最も構造的美観を備えた空前絶後の作品」と評する一方で、曲亭馬琴の『南総里見八犬伝』は「支那の模倣であるばかりか大分土台がグラついている」との評価を下しました。

この主張について、芥川は賛同できないと反論します。泉鏡花や正宗白鳥など同時代の作家を例に挙げつつ、何よりも谷崎自身が「構成する力」を多分に有していると述べました。

また、芥川は「谷崎氏のように我々東海の孤島の民に「構成する力」のないのを悲しんでいない」として、日本ならではの文学を肯定する姿勢を見せています。

芥川龍之介の「「話」らしい話のない小説」

次に、芥川龍之介の主張についてですが、彼は「「話」らしい話のない小説」こそが「小説の価値を定める」ものだと言及しています。ここで言う「話」とは、「大きな蛇がいるとか、大きな麒麟がいるとか」という空想の話を指します。そうした「話」というのは小説の芸術性を高める要因にはなり得ないのだというのです。

「話」らしい話のない小説は勿論身辺雑事を描いただけの小説ではない。それはあらゆる小説中、最も詩に近い小説である。しかも散文詩などと呼ばれるものよりも遥かに小説に近いものである。

ここで芥川の主張を語る上で重要なキーワードとなるのが「純粋」です。空想話や日常の面白い話といった「通俗的興味」を含まず、「詩的精神」を有する小説こそが芥川の言う「純粋」な小説となります。

ただ、「純粋」という言葉は字義的な意味合いを超えて、非常に難解な概念として語られています。

芥川が例示した「純粋な小説」は、ジュール・ルナールの作品『フィリップ一家の家風』、志賀直哉の『焚火』などの短編作品です。
ルナールの『フィリップ一家の家風』については、「一見未完成かと疑われる」と評しつつも「善く見る目」と「感じ易い心」に特化して書かれた作品なのだと述べられています。

志賀直哉については、「描写の上には空想を頼まないリアリスト」と評していて、その描写に「東洋的伝統の上に立った詩的精神を流しこんでいる」ことが志賀直哉の特筆すべき「テクニイク」なのだと語られています。

こうして例を挙げてはいますが、正直に言うとこれだけでは「話」らしい話のない小説の全体像は掴めません。実際に作品を読めばもう少しイメージしやすくなるのでしょうが、それでもなかなかに理解しづらいです。

さらに芥川は、「「話」らしい話のない小説は通俗的興味の乏しいもの」といいつつも「最も善い意味では決して通俗的興味に乏しくない」とも述べています。後者の「通俗的興味」は前者とは意味が異なるとのことですが、この芥川の主張に対して、谷崎は「左顧右眄(さこうべん)」していると批判していて、芥川自身もそのことを連載の中で認めていました。

このことから察するに、芥川自身も「話」らしい話のない小説について正確に言語化しかねていたのではないかと思われます。

芥川vs谷崎論争は終わらない

以上、二人の主張をまとめてみましたが、残念なことにこの論争は決着がつくことは叶いませんでした。1927年7月24日に芥川が自殺したことで、論争は事実上の終わりを迎えることとなったのです。その日は奇しくも谷崎の誕生日でした。

そういった次第で、「話」らしい話のない小説の是非について明快な答えは見つかりませんでした。

しかし、その代わりに芥川・谷崎両氏が論争の中で言及した内容は、現代でも問題になっていることばかりだったのです。

例えば、1927年5月号の『改造』において、芥川は次のように述べています。

今日の日本は芸術さえ大量生産を要求している。のみならず作家自身にしても、大量生産をしない限り、衣食することも容易ではない。しかし量的向上は大抵質的低下である。

作家が十分な生活費を稼ぐためにはたくさんの作品を書かなければならない風潮は今でも根強く残っていて、むしろ芥川らの時代よりも一層その傾向が強くなっているように感じます。

しかし、コンスタントに作品を書き続けるためには一つ一つの作品にかける時間は少なくなってしまい、結果として作品の内容が薄くなってしまうのです。

谷崎もまた、当時の日本で発生していた「文化の商品化」に対する主張を述べていました。谷崎の作品が海外の演劇の題材に選ばれたことを受けて、以下のように述べています。

ぜんたい文化と云うものを商品扱いにして、出先きの支店で宣伝すると云う考えからして間違っている。一国の文化が真に燦然として他国を凌ぐ輝きをもつものならば、何も此方から売り込みに行かずとも、招かずして諸方からそれを求めに来るであろう。

先述した芥川の「芸術さえ大量生産を要求している」という主張と併せて考えると、昭和の時代からすでに文化・芸術を単なる道具として扱う風潮があったことが窺えます。

現代でも、「文化の商品化」という現象はよく見受けられます。アニメ、漫画、ゲーム、ライトノベルなどのサブカルチャーでは、消費物のように創っては捨て去られるコンテンツが非常に多くなっています。新刊で発売された話題の本にしても、数ヶ月と経たないうちに古本屋で売り出されることは珍しくありません。

「異世界モノ」といった画一的なジャンルの作品を大量生産し、売れなければ容赦なく切り捨てることが往々にして行われますが、私はこうした事実に強い危機感を覚えるのです。

質の低い作品が濫造されることは、歴史に残るほどの傑作が生まれる可能性を低くしていることと同義なのだと思います。一時の娯楽のためだけに消費されて、後世に読み継がれなくなってしまえば、文化そのものの衰退も起こり得るのではないでしょうか。

このように、芥川vs.谷崎論争の中には現代にも通じる問題について数多く述べられています。「芸術は一個の生きものである」という谷崎の主張もなかなか興味深いものでした。

そうした論争の枝葉にも注目して読んでみると、新しい発見が得られることでしょう。

芥川vs.谷崎論争は決着を迎えることは叶いませんでしたが、現代の私たちが二人の主張を読み継ぐことで、これからの文学について考えを深められる余地は十分にあります。そういった意味では、二人の論争は今もなお続いていると言っていいでしょう。

論敵と書いて“とも”と呼ぶ

芥川と谷崎が繰り広げた文学論争は、決して相手の意見を封殺しようと行われていたわけではありません。

芥川は「話の筋のある小説」の面白さについて理解を示していましたし、谷崎の方も芥川の主張を丁寧に読み解き、「詩的精神のある純粋な小説」について谷崎なりの見解を述べました。

何よりこの二人はプライベートでも親交が深かったようで、論争中でも二人一緒に芝居を観に行っていたというのです。

芥川と谷崎の文学論争は、お互いをリスペクトした上で真摯に持論をぶつけ合っていたことが窺えます。

プライベートでは交流を深められて、その一方では肉薄した議論を交わせられる。そんな芥川と谷崎の間柄にとても憧れますね。